大垣城



大垣城の歴史を訪ねる。
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東御門
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天守閣
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大垣城絵図
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甲冑
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鉄砲
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大垣城
通称 麋城、巨鹿城

城郭構造 連郭輪郭複合式平城

天守構造 望楼型(1594年築)

複合式層塔型3重4階(1620年改)
(RC造外観復元・1959年再)

築城主 伝・竹腰尚綱

築城年 伝・明応9年(1500年)

主な改修者 氏家直元、伊藤祐盛

主な城主 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、

岡部氏、松平氏、戸田氏

廃城年 明治4年(1871年)

遺構 石垣、曲輪

指定文化財 なし

再建造物 天守・乾櫓・艮櫓(外観復元)・門


大垣城は、宮川氏築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸

のみのであったという。氏家氏、伊藤氏によって改築が加えられたとされ、

1613年(慶長18年)には石川忠親によって総堀が加えられ、松平忠良が天守

を改修した。その後1649年(慶安2年)に 戸田氏鉄によって明治に至る姿と

された。

 戸田氏改修後は並郭式に本丸と二ノ丸を並べ、その周囲を三ノ丸で囲い、

更に外周は惣構としていた。本丸には北西隅に4重4階(3重4階とも)の複合式

層塔型天守を上げ、3重櫓1基に2重櫓を3基、二ノ丸に月見櫓など3重櫓を4基、

三ノ丸には2重櫓4基、平櫓1基などが建て並べられ、本丸に2つ、二ノ丸に1つ、

三ノ丸に大手門など大小5つ、外郭に南大手門など大小7つの門が開かれていた。



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posted by oojijisun at 10:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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